栗原牧師の説教はこちらからご覧になれます。栗原牧師が他教会で説教されるときは、岡崎菜佳子牧師(日本基督教団東京都民教会)または、森田裕明牧師(山手中華学園熊猫幼稚園園長)が説教をしてくださいます。

前任牧師の説教を
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説教の要点のみでなく、説教全文も掲載しておりますので、著作権などご配慮いただきたくお願いいたします。


以下は掲載例です。「説教題」、要点、本文入り口の順になっています。本文をお読みになりたい場合は本文入り口を示す(本文へ)、または(pdfへをクリックして下さい。

(1)「響き合う」
私には、私の人生に欠かすことのできない人がいます。もしその人がいなかったら、今の私はありませんでした。もしその人に出会わなかったら、私は牧師になっていませんでした。もしその人を知らなかったら、私は度量の狭いつまらない人間のままだったでしょう。.....彼は響きあう人でした。アジアの人とも、在日の人とも、障害のある人とも、差別の中に生きなけらばならない人とも、そしてそれらの人々を支えようとする人たちとも響きあうことのできる人でした。.....イエスは.....響きあうために、飢えている人や沈黙する人、悲しみの人や苦しんでいる人、友のいない人や無気力の人に出会ったのです。.....「主に愛されたひとりとして」、イエスとの響き合いを、人に示す者になりたいとおもうのです。
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(2)「手」
ヒラヤマ、ヒラヤマ、ヒラヤマと10回言ってみてください。いきます、せーの。「世界で一番高い山はなんですか」「ヒマラヤ」。「ちがいます」正解はエベレストです。そんなことから考ますと、きょうの説教題は世界で一番短い説教題です。説教題「手」、一文字で一音ですから、これより短いものは無いと確信しています。
 イエスはいつも、その手をさしのべていました。神の言葉を伝え、救いを与え、信仰の道に導くために、イエスは手を広げて待っていたのです。しかしユダヤ人たちは、その手を握ろうとしませんでした。イエスと手をつなごうとしなかったのです。私たちの手は…。私たちの手はどのような動きをしているのでしょうか。いつもイエスに向けて手をさしだしているでしょうか。 (本文へ)(pdfへ


(3)「ちむぐりやっさあ」
私には榎本恵という友人がいます。彼の父親は榎本保郎といって、キリスト教界では著名な人物です。.....榎本恵は結婚後しばらくして、近江八幡から沖縄の伊江島に移り住み現在に至っています。彼の書いた文章を紹介したいと思います。.....「ある日のことだった。仕事を終えて家に帰ると、妻がニコニコしながら待っている。どうしたのかと尋ねると、昼間、向かいの刺身屋のおばさんが突然、『寂しくないかねえ』と沖縄ソバを持って来てくれたのだという。.....沖縄独特の言葉に、『ちむぐりやっさ一(肝苦しい)』というのがある。.....人の痛みの中に自分の痛みを見いだし、心の奥深くにある哀しみを共感させる言葉ではないだろうかと思っている。.....私たちが前へ前へ進むことの中で、見落としてきたものが、豊かで明るい生活を過ごすために、片すみにおいやってきたものが、この沖縄にはある。ここは、今の世の中で、もう数少なくなってしまった、人間の住む島なのだ」。.....イエスがいなくなった哀しみや不安ややりきれなさの中にいた弟子たちに、聖霊が与えられました。.....このペンテコステの出来事は、決してその時ばかりのことではありません。私たちの教会においても、聖霊は同じ働きをなしえるはずです。私たちはそこから、力を与えられるのです。大切なのは、そこに集う私たちの心です。「ちむぐりやっさあ」、人の痛みの中に白分の痛みを見いだし、心の奥深くにある哀しみを共感することです。そこから新しい白分がはじまり、教会の働きも聖霊の力に満たされるはずです。 (本文へ)(pdfへ)

(4)「赦すということ」
「育児をしない男を、父とは呼ばない」。ポスタの写真には、歌手の安室奈美恵さんの子供とその当時は、夫であったサムさんが起用されていました。.....我が子がかわいい、愛しいという思いはあっても、同時に、なぜ自分ぱかりがこのような苦労をしなければならないのか、なぜ自分は自分のために時間を使えないのか、なぜ自分だけが育児の犠牲にならなければならないのかという潜在的な思いを生じさせます。その気持ちや不満を直接夫に訴えることもできずに、あるいは訴えても闘いてもらえずに、妻は疲れていくのです。.....そのような日常の積み重ねが、夫と妻の思いのすれ違いとなるのでしょうし、それがさらに積み重ねられれば、熟年離婚となっていくのでしょう。夫の方は妻の思いが理解できないままに、妻の方はもうこんな夫は許せないとなるのです。.....しかし、感情のおもむくままに行動すれぱ、人間関係はすぐに傷つき、壊れていってしまいます。関係を壊さない方法、人間関係を回復させる方法ははっきりしていて、皆が知っています。赦すということです。.....イエスは赦すことについてのたくさんの言葉を語っています。マタイによる福音書18章には、赦すことについてペトロがイエスに尋ねる場面があります。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか」・それに対してイエスが答えます。「あなたに言っておく。7回どころか7の70倍までも赦しなさい」。.....それは私たちの意志だけの問題ではありません。赦そうとする意志をもっても、水に流すことはできないのです。けれども、私たちの意志や感性に加えて、信仰が処方箋となります。自分の信仰を顧みて、神に赦されていることを知り、そこからどうするかを考えていくことが、信仰者の歩み方なのです。(本文へ)(pdfへ)

(5)「百円ライター」
.....知花さんはその翌日、読谷村のソフトボール会場で、持っていた百円ライターにすべての思いを込めて、日の丸を焼きます。艦砲射撃で死んだ人々の思い、ガマで死んでいった人々の思い、わが子に手をかけざるをえなかった親の思い、本土復帰の時の思い、日の丸を下ろした女子高生の思い、「参拝シミランガ」とつぶやいたオバーの思い、沖縄の思い、平和への思い、自分の生きてきた思い、それらすべてを百円ライターに込めて、日の丸に火をつけました。.....チビチリガマで改めて沖縄の方々の内にある戦争の悲惨と痛みを受け取り、平和へ向けての祈りを捧げました。.....チピチリガマの入り口にはたくさんの千羽鶴が下げられていて、厳粛な空気が流れていました。ガマの中には今もたくさんの遺骨が残されています。ガマそのものがたくさんの人々のお墓としてそこに存在し、その場でたくさんの命が失われた事実に、改めて戦争の悲惨と痛みを受け取り、平和に向けての祈りを捧げました。1人の神を信じる者として、平和を求めていきたいと思っています。神を信じて神に結び合わされている共同体として、平和を願い、祈り、行動する教会になりたいと思うのです。 (本文へ) (pdfへ)

(6)「笑いましょう」
阪神大震災直後の忘れられない報道があります。テレビカメラが、全壊した家から荷物を取り出そうとしている中年の女性に寄っていきます。カメラマンが女性に声をかけます。「大変ですね」。「も〜ほんま大変やわ。見てえな、この手。震災の前は私、白魚のような指って言われてたんやから。ほんまやで。それがほら、今は真っ黒や」。カメラマンが尋ねます。「白魚のような指だったんですか。今はどんな感じですか」。「今か? 今はほれ、どじょうのような指や。アハハハハ」。 これが「たたかうユーモア」です。たとえそれは一瞬の出来事であるにしても、自分の苦しみをユーモアと関連づけることによって、その苦しみを乗り越えようとしていたのです( 本文へ)


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